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私のリーダー論

経営共創基盤の冨山和彦CEO(上)

カリスマ再生請負人、原点は創業した会社のリストラ

2019/01/07  (2/3ページ)

 「『紺屋の白袴』ですよね。人の会社の経営はアドバイスしているのに、自分の会社はうまくいかない。人生で初めて、資金繰り表を真剣に見つめました。リストラにカネがいることもわかっていなかった。退職金とかね。最悪、自己破産かもなと思いました。結局、みんなで頭を下げて、クライアントに出資してもらってリストラのカネを捻出したんです。すごくかっこ悪いでしょう。コンサルティング会社が、コンサルしている会社に出資してもらったんだから。あのときはトップではなかったけれど、非常にみじめな日々でしたよ。それで、『(経営者は)頭が良くてもダメなんだな』と。CDIはある意味、みんな頭いいやつばっかりでしたからね」

■大阪のドブ板営業で学んだ 「サラリーマン」のこと

米スタンフォード大大学院でMBAを取得した

 「口減らしの意味もあって、出向して大阪で携帯電話会社の立ち上げに参加することになりました。単身赴任でね。経営企画の課長として事業を立ち上げたり、営業統括として代理店を開拓したり。300社以上回りました。30代でシリコンバレーから戻ってきたら、待っていたのは大阪ミナミでの、人生初のドブ板営業だったわけです。そこから中国地方、東北の開業、北海道、北陸をぐるっと回った。92年から98年くらいまで6年近く過ごしました。ここで、初めて大企業サラリーマン社会を体験したんです。大企業の関連会社だったから」

 ――なりたくなかった「サラリーマン」はどうでした。

 「本当によかったね。多くの企業は、(サラリーマン型)組織の論理で経営されている。もしある組織をよくしよう、価値観を変えよう、と考えたとき、手触り感がわかっていなければうまくいかないでしょう。実際、頭で考えた営業プランを提案しても、誰も動いてくれなくて。全然うまくいかなかった」

 「出向で来ていた大手企業の出身者のうち、喜んでいる人はほとんどいなかったんです。当時の携帯電話は、まだ自動車電話の時代ですよ。持っているのは、ヤクザと政治家と芸能人くらいで、当時、携帯電話会社なんてまだ怪しげだったんだから。みんな不本意なんですよ。大手メーカーや総合商社では本流とは思われていなかったから、みんなモチベーションが低いんです。その上、出身企業同士の派閥争いもある。本で読んだようなサラリーマンワールドが、まさに目の前で展開されていました」

 ――新鮮ですよね。

 「今、自分を振り返ってえらいな、と思うのは、それが面白かったんだよね。『最低なもの』をただ最低だと絶望する人もいるでしょう。僕は観察するのが面白かった。だって、みんな仕事しないんだもの(笑)。それでいて会議では評論ばかりする。むかっ腹も立ったけど、なんでここまでこの人たちは仕事したくないんだろうと不思議だった」

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