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リーダーのマネジメント論

GMOインターネットグループ代表 熊谷正寿氏(上)

独学でも学び続ける姿勢

2017/10/03  (1/3ページ)

インターネットの黎明(れいめい)期から、ネットベンチャーが集まる東京・渋谷の「ビットバレー」で活躍し、勝ち残っている企業は数少ない。その1社がGMOインターネットグループだ。創業者でグループ代表を務める熊谷正寿氏は起業から20年あまりで、連結売上高1200億円超の一大グループをなぜ築けたのか。そこには、実業家だった父親の色濃い影響があった。

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■名門高校に首席入学するも中退

 ――起業のきっかけは何ですか。

 「なぜ、自分が起業したのか。まず第一に、就職できるキャリアがなかったからです。私は高校2年のときに、私立国学院高校(東京・渋谷)を中退しました。国学院大学の付属校でしたから、そのままちゃんと卒業できていれば大学に入れたはずだったんですが」

 「以来ずっと独学です。放送大学ができたときには『自分のための大学だ』と思い、1985年の春に1期生として入学しました。放送大学では、一定の期間内に一定の科目を履修すれば『学生』と認められるのです。私は目いっぱいの期間、在籍したので、かなり単位も取って正規学生になりました。そういう意味では大学で勉強したといってもいいのかもしれないけれど、高校中退のままで通しているんです。どちらにしても日本のシステムでは、とても就職できるようなキャリアではないですよ」

 「中学生のときも全く勉強しないダメな生徒でした。高校進学では、女の子のいる共学で、華やかな青山あたりにあって、当時住んでいた東中野からあまり電車を乗り換えずにすむ――という学校を探しました。学校帰りのアフター5ならぬアフター3か4を考えた軟派な生徒です。ですから『高校は青山学院か国学院に行きたい』といったら、先生から『偏差値が高すぎて無理だ』といわれました」

 「悔しくて猛勉強したら、何を間違ったか首席で入学してしまったんです。当時の校長に『君は東京大学へいってくれ』といわれました。ところが、『自分はやりゃできるんだ』と。元から勘違い野郎だったんだけど、本当に勘違いしちゃって1年間、勉強しなかったら成績が学年600人中500番台にまで落ちてしまいました。15か16クラスある中で一番勉強のできるクラスにいたのですが、成績が落ちて、居心地が悪くなってしまいました(笑)。加えて、厳しい校則に反発して、先生から目をつけられるようにもなっていました」

 「そこで高校2年生の5月ごろ、親に退学届を書いてもらいました。『どうやって辞めてやろうか』と2、3カ月、毎日、退学届を胸ポケットに入れていました。『けんかして辞めるのは格好が悪い』と思い、何もないときに担任だった先生の授業で出すことに決めました。しーんとしている教室にいきなり歩いて行って『辞めます』と」

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